ホームページの管理者のHさんから、ブログが寂しいと言われているので、賑やかしの意味で個人的パソコンあるいはネットについての思い出話など。
わたしがパソコンをプライベートに購入したのは1990年頃で、Macintosh SE/30だった。 会社ではNECのパソコンを使っていたので趣味的に使うなら、別のマシンにしたかったことと、当時DTP(デスクトップパプリッシング)やハイパーカードに興味があったからだったように思う。
それにしても当時のMacは高かった。 まだアップルジャパンではなく、キャノン販売がアップル代理店をしていたが、本体だけでも確か80万はしたし、付属機器を含めると100万以上かかったから、車を購入するのと変わらない。
おまけに、当時のMacは日本語環境も整っているとはいえず、よくエラー(爆弾と言っていた)が多発していたから、あまり実用的には使用出来なかった。 しかしそのユーザーインターフェースを操作しているだけで、満足感はあったように思う。 そのうち、パソコン通信が話題になってきたので、Macを利用して始めることにした。
そのころ、参考になったのは津野海太郎や室謙二の書いたもので、特に以下の対話集は当時の雰囲気をよく伝えている。
津野海太郎/室謙二 『コンピューター文化の使い方』 1994
というわけでパソコン通信のニフティサーブに加入することにしたわけだが、現在のように常時接続ではなくダイヤルアップ接続であり、しかも1Mどころか100Kもない回線速度ですから、時間がかかってしょうがない。 音楽も映像も扱えないテキストだけのやりとりでも、電話回線を使用して行うから、毎日使用すると電話代が軽く数万円を超えるような事態になってしまう。
そこで多くのひとはニフティサーブ専用の自動巡回ソフト(フリーウェアである)を使用していた。これはニフティサーブ上のフォーラム(目的別の掲示板BBSの集まり)の各会議室(個別掲示板)の未読のログを自動的にダウンロードしてくれるもので、掲示板への書き込みはオフラインでそのログを見ながら書いていた。 コメントなどのアップロードも自動的に行えた。
わたしはもっぱら音楽関係のフォーラムに出入りしていたが、当時ある音楽フォーラムでフリージャズ(O.コールマンやA.アイラー)や70年代洋楽、時には日本のポップスやシャンソン(Cora Vaucaireが好きだった)の話題で書いていたら、その無節操さが気に入られたのか、フォーラムの管理者(音楽雑誌に書いているライターの方だった)に誘われてシスオペ(ボランティアのスタッフ)を担当することになったりもしました。
90年代前半は、WEBが89年に誕生していたとはいえ、インターネットはまだ一般の人には知られていなかった。 わたしがインターネットの存在を認知したのは、あるマイナーなミュージシャンについて、趣味が一致している富士通の技術者の方とメールのやりとりをしていたことがきっかけだった。 そのミュージシャンのライブ情報を教えてもらったりしていたんですが、インターネットのML(メイリングリスト)経由の内容だったわけです。 そこでパソコン通信以外のネットの世界があることに気がついた。 まだインターネットは大学や一部企業の技術者しか利用していない頃だったと思う。
その後、95年を境にわたしがWindowsパソコン、そしてインターネットの世界に徐々に移行していくことになったわけだが、話が長くなりすぎたので、思い出話はこのへんで。